jozkado’s diary

オナ禁を実践しながら『オナ禁論』執筆をする院生の業務報告。執筆のためのメモなど。

5日目ーー失敗を糧にする

6:30起床


さっそく、深夜に目覚める現象が再発した。


勃ちも完全に復活したが、ある対処法を試みたことで、比較的すんなりと収めることができた。


その方法とは、「すぐに寝つくことはいったん諦める、プチ・ボーナスタイム」というものだ。


今まで、布団の中ですぐに寝つこうとしてストレスになり、また、勃ちが強烈だから触ってしまいがちで、なおさら眠れなくなる(そして睡眠不足になったり、リセットしたりする)ことが多かった。


そこで、すぐに寝つくことはいったん諦め、歯を磨いたり、手頃な本(評論のアンソロジーなど)を読んだりすることで勃ちを収め、その状態になってから布団に戻ることにした。


15~20分ほど自由に読書などができ(スマホではないところがミソ)、そのうえ心穏やかに眠りに戻れるのだから、案外良い方法なのかもしれない。


深夜に謎に目覚めてしまう現象に対して、これまでこれといって有効な策を考えられてこなかったが、これは試してみる価値がありそうだ。

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このような方法を思いついたのには、もう一つ背景があると思っている。



それは、「自分にとっての娯楽と仕事の差が大きすぎる」という課題への対処だ。


自分にとって仕事とは、修論を書き上げるための文献を読んだり、資料を読んだり、執筆したりすることや、個別指導の作業を行うことだ。



しかし、娯楽と言うと、YouTubeを観るとか、スマホでゲームをするとか、(これまでであれば)一日を使い果たすほど自慰に耽るなどであった。


生産性という点で、あまりに両者の間が隔たっていたのだ。



「もう少し、あいだを取れるような娯楽はないのか…」と思うようになっていた。


それで、「研究や個別指導に直接関係するほど高負荷ではないが、従来の娯楽ほど事後の虚しさを感じず思考を働かせられるもの」としての読書を取り入れようという考えに至った。


ただの読書じゃないか、と思うかもしれない。



しかし、自分にとっては、この絶妙な位置づけの中で行う「あいだの娯楽としての」読書であることに意味がある。




これまで繰り返してきた失敗を糧にして、自分なりに有意義な意味づけをした行為には、行為それ自体以上の価値が生まれる。



ちょっとの工夫。頭を少し使う。


新たな課題もまた出てくるだろうが、乗り越えたい。