10日目ーー意味と快楽の葛藤
6:20起床
日曜日だが、朝から動けるのはとてもよい。
今日でENDをよみきるのと、『健康論の誘惑』に入っていく。
また、個別指導の塾に(授業ではないが)行かねばならないので、時間の区切りをしっかり意識して動きたい。
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今日で久々の2桁台の日数に入るわけだが、ここにきて非常にきつい時間が襲ってきた。
午前中、心身ともに収まらない状況が断続的に続いた。なんとかスケジュール通りに読み進められたものの、呼吸が浅くなり頭がボーッとするほどの状態になったのはここ10日間で初めてだった。
リセットしてしまうことの無意味さは何度も味わっているので、「ここでやってもなんの意味もないよ」と何度も言い聞かせているが、上のような状態になると、その言葉が効かなくなる。
意味などよりも、心身が快楽を求める感じだ。この葛藤はいつになっても慣れないしきつい。
明らかに頭の違う部分同士が綱引きをしている感じなんだよな。どうみても快楽を求めるほうが強くて分が悪い。
こういう場合、頭の中の綱引きをいったん休戦状態にするというか、第三の部分に注意を向けるような仕掛けを作りたい、と思う。(葛藤をやめる、ということではない。それでは即座に快楽に流れてしまうだろう。)
なんとなくなのだが、この葛藤が生じている時に他人にメールやLINEを送ろうと文面を考えだすと、頭の中の綱引きの激しさが徐々に薄らいでいく経験はある。
人とのコミュニケーションや、文面を考えるのが一つの良い方法なのかもしれない。ネタを常にストックしておくか。
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今日でEND本文を読み切った。厳密にはAppendixが残っているが、アイデンティティに深く関わるものとして禁欲を扱っているという大きなストーリーは、これで掴めたことになる。
英語論文はこれまでにかなり読んできたし、大学の授業等で単著を読んだことはあったが、自分で選んだ単著で完全に自力で読み通したのは、人生初だった。
そういう意味で、感慨深い。
しかも、昨年9月~12月の3ヶ月で50ページしか進んでいなかったのに対して、この1ヶ月で130ページを読み進めることができたのは、成長を感じた。もちろん、昨年のこの期間は授業期間で今よりあれこれと忙しかったのもあるが、集中の度合いは今のほうが明らかに高い。
そういえば、オナ禁もイマイチ続いていなかった時期でもあったな。
自分としては、知的作業にとってもオナ禁はうまく活かせるツールになっているのかもしれないと思う。今日の午前中のように突発的な激しいムラムラに襲われることはあるが。
さて、これでENDの集中読みはいったんひと区切りである。
来週はENDの著者マラニーの関連論文(これも英語)と、『健康論の誘惑』はじめ医療社会学系の文献を集中して読んでいく。
9月に入るので、一日の中で資料分析と執筆にかける時間の割合を少しずつ増やしていこう。