jozkado’s diary

オナ禁を実践しながら『オナ禁論』執筆をする院生の業務報告。執筆のためのメモなど。

0日目ーー沼が深い

8:15起床


昨晩ーー正確には今日の真夜中なのだがーー、リセットしてしまった。


夕食後ムラムラした状態をなんとか鎮め、筋トレもして23時過ぎに寝たのまではよかった。


しかし、こういう日に限って夜中に目が覚めてしまった。昼間や夜の我慢が何の意味もなさなかった。


むしろ反動が大きくて、今朝も起きてから昼の間で、数えるのも面倒なほど繰り返してしまった。


最近、本当にこんなことの繰り返しである。快楽に溺れれば間違いなく一日の多くの時間を棒に振ってしまうのは分かっているのに、手を止められない。本当にまずい。


こんなことに悩まされるくらいなら、いっそ切り落としてやりたいとも思う。でも、それでは何も克服したことにならないので、結局は何か別な快楽を生むものに依存することになるだろう。


なんとかしなくては……そう思っているうちに今日も昼を過ぎてしまった。

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一日一日のちりつもを意識することは確かに重要なのだが、それ以前にこういう「棒に振るような一日」を過ごさないようにすべきだろう。


それまでの積み上げも一瞬で無駄になってしまうのだから。


色々と手を尽くしても、触ってしまったりムラムラに圧倒されてしまったりするのには、心が折れそうになる。だが、諦めるつもりはない。


それが出来なければ、修論も『オナ禁論』も実現しない。研究者としてのキャリアもスタートしないと肝に銘じたい。

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さて、そういうわけで、今日実質的に作業に使えたのは14時半から19時半の5時間である。


情けないほど少ないが、その中でなんとか『覚醒剤の社会史』を1章分と、分析に時間をとった。


2ちゃんねるの分析による「形成過程の概要」パートはあらかた済み、今は2000年代後半以降に多数出現するようになる個人ブログやネットニュース(これらの多くはすでに収集済み)を類型化して示すパートに入っている。


もちろん、2000年代後半以降は資料が本当に膨大になるので、修論で扱えるようなレベルではないが、大まかな類型化と、各タイプのテキストを紹介することは可能である。



以前触れたように、現在のようなオナ禁の語られ方には、いくつかのタイプがある(ゲーム、実験・検証、プラクティカルな目的、性愛の追求(究)、身体の調整、自己変革)。


ゲーム、実験・検証、プラクティカルな目的としてのオナ禁までは「効果」の側面が弱いが、それ以外は「効果」の存在ありきで語られ、進められる。また、これらの類型は決して相互排他的ではなく、あるタイプから別のタイプへと移行することも十分ありうることが分かってきた。


そのようなものとして見てみると、たしかに「効果」はオナ禁実践の強力な推進力になっているが、この実践全体を描くうえでの媒介項にすぎないようにも思えてくる。


「効果」を疑い実験しようと冗談で関わる、「効果」が実際に感じられる、信ぴょう性をもってくる、このようなオナ禁の展開の全体像を見ることができないか……


「効果」は重要だが、それに縛られすぎない視点が何か必要な気がする。