jozkado’s diary

オナ禁を実践しながら『オナ禁論』執筆をする院生の業務報告。執筆のためのメモなど。

2日目ーーリンクがあるということ

7:00起床



土曜日にリセットしてしまい、この日は完全に一日を棒に振った。ここ半年間で過ごしたことの無いような怠惰な一日を過ごしてしまった。


これは猛省。


心入れ替え、昨日と今日と朝からみっちり研究に取り組んだ。


研究を進めていけばいくほど、自分のこれまでのサーチがまだまだ甘かったこと、もっと時間が必要だということが分かってくる。


棒に振ってよいような日など、本来はない。

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今日でENDの第6章の前半くらいまでは読んでしまおうと思ったが、午後からの作業でウェブサイト漁りにハマってしまい、読む時間にはあてられなかった。


しかしその分、非常に貴重な情報を追加することが出来た。


2000年にゲーム的要素の強いオナ禁からはじまり、その後「効果」が語られだすのが2003年以降。

「効果」が具体化し、まとめられていくのが2004年~2009年頃であるが、この期間に、個人ブログが大量に現れるようになるのだ。


とくに、「くそ丸」氏のブログや「手淫禁止HP」の反響が大きかったのか、2006年以降はブログの形式で個人が「効果」の報告を自らの実践とともに語るようになっていくケースが多く見られる。


もちろん、修論でこれらのブログ全てを網羅する余裕はないだろうが、リストを作成することは意味がありそうだ。


そして、2009年頃からは「効果」のなかでもとりわけ「モテ効果」と呼ばれるようなものが強調されるようになり、2010年代には自己啓発系と言ってもよいような「オナ禁プログラム」なる形で流通が進んでいく(もちろん、当初から語られていた、オナ禁による美容「効果」などは引き継がれる)。


オナ禁をするとモテる」という言説が第一義的に語られるようになるのも、プログラム化・情報商材化していくことと軌を一にしているように思われる。


オナ禁」という言葉に与えられた意味が、「効果」を伴いながら広がりをもって形成されてきた過程を、大まかではあるが追うことができそうだ。

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ウェブサイトを探していくうえで、とても基礎的だが気をつけなければならないことがある。


それは、「リンク切れURLも情報として価値がある」ということだ。


今はWayback Machineのように、ウェブ上の記録を自動でアーカイブしてくれるサービスもあって、一見「リンク切れ」のように表示されるサイトにも復元して見ることができるものがある。


大変便利なのだが、そうして過去のリンクを見ていっていると、アーカイブもされていないリンクに遭遇したとき「復元もできないから」といって記録に残さなくなってしまいがちだ。


しかし、「リンク切れ」と「そもそもそのようなサイトは存在しない」とでは、大きな違いがある(もちろん、この二つの間には「サイトは存在していたが、アーカイブもされず、他の読者によってリンクを共有もされず、結果的にリンクすら追えなくなっている」ものもあるだろうが)。


リンクが復元されなくとも、ページのタイトルが残されていたりすれば、それがれっきとした一つの情報である。


そうした情報も、拾い忘れないようにしたい。


今日作業をしていて、実感したことだった。



「業務日誌」と名打っているこのブログも、10年後、20年後に残っているかどうかは分からない。


だが、いま進めているオナ禁研究が、21世紀前半の日本社会を記述するものとして重要であることは間違いないはずだ。


だから、「誰かに読まれること」よりも、とにかく研究の記録をつけ、残していくことが、価値を生んでいくことになるだろう。


オナ禁ももちろん挑戦を続けていくが、このブログの主旨を改めて確認できた日でもあった。