jozkado’s diary

オナ禁を実践しながら『オナ禁論』執筆をする院生の業務報告。執筆のためのメモなど。

6日目ーーオナ禁と禁欲の距離

8:00起床


夜更かしが癖になってしまい、なかなか朝早く起きられなくなっている。


たぶん、夕食後の筋トレでYouTubeを使っているのだが、その前にだらだらと他の動画を見てしまう癖がついてしまったからではないかと思っている。


だとすると、(a)夕食後の筋トレを別な時間帯に移して、夕食後(この日誌を書き上げたあと)は電源を即座に切り、電子機器類を一切シャットアウトするほうがよいのではないか。

あるいは、(b)外の公園に出かけていって、そこで筋トレをするか。


いずれにせよ、今までの行動の流れに混ざりこんで習慣を侵食してきている別の行動Xが生じないよう、流れをいったん切り離す必要がある。


(a)のパターンはややハードル高め(夜以外の行動の流れも切断しなければならないので、生活スタイルに崩れが生じかねない)と思うので、(b)を検討してみたい。

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動き出しは遅かったものの、集中できたため時間の割には進められた。


ENDは第7章を終え、残すところ8, 9, 結章となった。


7章で扱われていた「塀作り」タイプの禁欲観は、やはりオナ禁にはあてはめにくい。オナ禁はたしかに「禁」という文字こそ入っているが、ENDでとりあげられているような「禁欲(abstinence)」と呼ぶには不完全なのではないか。


そんなことを思った。禁欲の問題系(ウェーバーやガスフィールド、フーコーなどが含まれるだろう。いま注力しているENDの著者、マラニーもそうだ)にオナ禁が回収されえないという論の立て方が可能な気がしてきた。

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では、結局オナ禁研究をどのように位置づけるか?

おぼろげだが、最終的には健康社会学や医療社会学、あるいは医療人類学と呼ばれる領域なのではないか、と思うようになっている。


バーガー=ルックマンの知識社会学の理論を背景にした「専門知/経験知」「身体」「知の流通空間」という枠組みを用いながら、上の領域で論じられているのと同様の状況だけでなく、「自ら編成した知によって自らの周辺の現象への意味づけが変容したり、自らのふるまいが統制されたりする」状況まで論じること。


そこまでなんとかたどり着きたい。