jozkado’s diary

オナ禁を実践しながら『オナ禁論』執筆をする院生の業務報告。執筆のためのメモなど。

5日目ーー寝坊した

8:50起床


7時に目覚ましで起こされたが、眠くて二度寝をしてしまった。

就寝が遅くなってきているのもあり、朝の目覚めが良くなっている感はない。遅くまで起きている意味は正直ないのだから、早急に改善する。

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起きてからもだらだらと動画を見てしまい、個別指導等もろもろの準備をして家を出たのは12時過ぎだった。非常に無駄をしている。


修論完成まで約100日となっている中で、この緩み方は危機感を持ったほうがいい。


夕方前まではしっかり集中して作業に充てよう。


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決して十分な時間とは言えなかったが、『覚醒剤の社会史』再読ののち、ENDの第7章を半分ほど読んだ。


ENDでは、禁欲の閾値を厳密にとらえる「塀作り」タイプの禁欲者たちが、しかしながら禁欲中に明らかにアウトな行為に及んでしまうことをどのように正当化しているかについて述べていた。


白黒ハッキリさせない「火渡り」タイプでは、行為ギリギリを攻めることが許されるわけだが、「塀作り」タイプはそうはいかない。白か黒かが明確なので、行為にいたれば明らかに黒なのだ。


しかし、彼らはその状況が、特別なケースであり日常の禁欲の実践の枠から外れたものとして「括弧にいれる」(bracketing)ことで、禁欲者のアイデンティティを保つことができているという。


この部分を読んでいて、オナ禁との違いがおぼろげながら見えてきた。


オナ禁も確かに禁欲のひとつだろうが、この「塀作り」タイプとは言えないということだ。


オナ禁でも厳格なルールや緩めのルールなど人それぞれあるが、そのルールを破ってしまえば例外なく「リセット」だからだ。


状況を括弧に入れて、守れなかったルールを一旦不問にしてアイデンティティを保つということ、つまり「ルールを守って禁欲に成功する(成功し続ける)ことで保たれるアイデンティティ」というより、「一定のルールのもとで(失敗・成功にかかわりなく)禁欲に挑戦することで保たれるアイデンティティ」という違いがあるように思える。


ENDで語られている禁欲の場合、失敗を避けようと論理を組み立てているように見えるが、オナ禁の場合、失敗も含めて実践者としてのアイデンティティが作られているのではないか。


そのような予想が浮かんだが、実践者の間でどのタイミングで「オナ禁者」としての自覚といかアイデンティティが確固たるものになるのかは、正直よくわかっていない。ある程度の期間取り組んでいることが必要そうにも思うが…


あるいは、オナ禁者にとって禁欲によるアイデンティティはそれほど切実でないのかもしれない。そうなるとオナ禁は不完全な禁欲なのかもしれないが。

もう少し、読み進めてみる。