jozkado’s diary

オナ禁を実践しながら『オナ禁論』執筆をする院生の業務報告。執筆のためのメモなど。

5日目ーー必読・最新のNoFap言説研究

6:20起床


朝はずいぶん寒くなってきた。季節を感じる。布団から出るのが辛くなるが、布団をかぶって歯磨きをすることで少しずつ寒さに慣れて目を覚ます作戦で対応している。



今日はもっぱら理論の章の執筆と、それに関係する文献の読み直しを行うとともに、以前追加していたが読めていなかった最新のNoFap関連論文を読んだ。


スコット・バーネットという研究者によるTwitterの言説分析だったが、"NoFap"を含むツイートを分類して、それぞれのタイプの語りにある意味論を構成していた。



読んでみて、まず、語りの全体を分類しようという作業に至った問題意識(男性性だけを所与の前提としてきた従来のNoFap言説研究にたいする批判)と、その分類の結果の多くが、自分がこれまでやってきていたものと共通していてたまげた。


彼は全体を次のように7つに分類している。
①NoFapの真っ当な実践者
自己啓発
③ゲーム感覚の演者
④宗教的な禁欲者
⑤男性主義者
⑥フェティシスト
⑦極右思想(反ユダヤ主義)者


これらのうち、④、⑥はオナ禁の語りでは出てこなかったが、①、②、⑤はとくに「自己変革」系オナ禁で確実に現れているものだった。

また、③は完全一致というわけではないが、ゲーム感覚でルールをつくり、他者との競走が関心となっている点で共通している。

⑦に関しては、反ユダヤ主義ではないにせよ、ポルノ産業にたいする反感の表明、ポルノによって日本男児が弱くなっている、といった主張が「自己変革」系オナ禁においてなされているところは近い。


出自は異なっていたとはいえ、オナ禁とNoFapの近さを改めて感じさせる分析結果だ。



この論文は間違いなく修論で扱うことになるものとなったが、不満をあえて言うとすれば、それは、abstentionという言葉を用いながら、NoFapがもはや「禁欲」とは無関係で、むしろ「オナニー」や「ポルノ」といった概念を独自の意味論的領域の構成要素としてまとめあげる概念としてしか扱われていない(ように書かれている)ことだ。


先行研究にも、禁欲を問題とした論文はなく、男性性やマノスフィアに関連したものが目立つ。



その点、オナ禁研究を進める際には「現代的禁欲」という位置づけで考えているので、最終的な問いは異なってくるだろう。


明日・明後日で要点と批判点をまとめて、本文に盛り込んでいこうと思う。



とても収穫のある1日だった。