6日目――始めるための終わり
6:20起床
早いもので、今日が修士論文の提出日だった。
11月の後半から12月入るくらいまでの間は、個人的にきつかった。着地点の見えない執筆作業でストレスもあったのか、オナ禁どころではないくらいに泥沼にはまってしまったことも度々あった。
(ちょうど1週間ほど前に、ここ1年で一番泥沼にはまってしまい、本当になにもしなかった日があったことは内緒)
しかし、何としてもやりきろうとスイッチを入れ直し、書ききった。
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読み応えのある文章は、一通り読んだ後、もう一度序文に戻ったときに、そこにある言葉が違って見えてくるものであるように思う。
修士論文を書き上げる中で、何度も立ち戻った本がいくつかある。
それらはどれも、以前読んだ時とは違った光を放っていた。読めば読むほど深みを感じるような。
自分が書き上げたものが、読後にそのような深みを増して迫ってくる類であるとはとても思えない。そんな仕上がりになるまでには時間と力が足りなかった。
『オナ禁論』というにはまだまだ組み立てたり取材したりしなければならないことが山ほどあると思う。(オナ禁界隈でよく耳にするような「スーパーサイヤ人効果」というものさえ、そもそもなぜ「スーパーサイヤ人」と結びつくのか、いつから結びつくようになったのか、など、分からないことだらけだ。)
ただ、1年間でここまでいけるのか、という手ごたえは感じられた。
この行為の広がりや、この行為を意味づける様々な論理を垣間見ることは、自分の研究で出来たのではないか。
また、「効果」が2000年代半ば頃から2010年代前半にかけて構築されてゆく過程などは、丁寧に組み立てて議論できたと自負している。
これから先は、2010年代になって電子掲示板の外へと広がってゆく「オナ禁」が男性にとっての「モテ」という関心に集中してゆくようになる言説の力や、そのような「オナ禁」の語りにおいて、「モテ」をゴールにすることができる前提的な認識などにも目を向けていってもよいかもしれない。
ひとまず、書いた。当然ながら完成ではないが、研究者としてのスタートを切ることになったのかもしれない。