jozkado’s diary

オナ禁を実践しながら『オナ禁論』執筆をする院生の業務報告。執筆のためのメモなど。

2日目ーー火渡り

7:00起床



昨晩も就寝が2時と遅かったため、非常に眠い。

だが、朝読書をしたら少しずつ冴えてきてなんとか動き出せた。頭のクリアーな感じは早くも戻ってきた。おそらく、一切触れていないし、誘発するようなものを目に入れたり想像したりもしていないからだろう。


朝勃ちが戻ってきたので、これからが正念場になるとは思う。そんな暇はないほど思考を巡らせ、行動することにしたい。

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今日で『覚醒剤の社会史』は読みきり、書評も読んでポイントを再確認した。

当然、一度通読しただけでは役立たせるところまではいかないので、明日すこし時間をとって分析の道具を整理し直したり、一読して難しいと感じた部分をリトライする。


今日は分析に時間を割かなかった分、ENDを読んだ。禁欲しているにもかかわらず、それを破ってしまいそうなギリギリを攻める「火渡り(fire walking)」が、禁欲にとってプラスに働いている側面についての説明がなされていた。


ギリギリを攻めることで自分の禁欲者としてのアイデンティティを再確認する、というのは確かにあるかも、と思いつつ、オナ禁ではあまりこうした行為は見られないように思う。


性欲は放っておいても暴れ出すからだろうか(素朴)。禁欲以外の選択には抗えない、という感じである。


しかし、長期オナ禁者のKindleの記録などを読んでいると、「たまにエロを解禁したほうがいい」などと体験が記されていたりする。


オナ禁でも長期的に行うと確かに性欲が安定することはある(自分も経験はある)。そういう時に、「自分はオナ禁をしているんだ」という確認のために、それまで制限していた(オナ禁を破るきっかけになりそうな)行為を解禁しているのだと、解釈もできるかもしれない。



ただ、どうだろう。



オナ禁の場合、「性欲の安定」に対して、「自分は性欲をもはや感じなくなってしまったのではないか?」という不安から、「性欲が正常に喚起されること」の確認のために、こうした行為を行っている部分が大きいのでは?と思うので、


オナ禁における「火渡り」的行為が《禁欲者としての》アイデンティティ確認なのか、《性的主体としての》アイデンティティ確認なのかは、注意して見る必要がありそうである。



ENDでは「火渡り」以外にももうひとつ、ギリギリを攻める行為として主要なタイプを挙げている。それを含めて、読み進めようと思う。


オナ禁の解釈に使えるかどうかは、都度考えてゆけば良い。