5日目――魔の5日目
6:25起床
夜中に3回、目が覚めた。1時前と2時半と4時…。
いずれのタイミングでも、目が覚めたときにはズボンと下着を履いておらず、物を扱いていた。
無意識にこの状態になっているのか…とかなり恐ろしい気がした。
人と一緒に寝るなんて、無理じゃないか。
最近は、オナ禁開始当初の「頭の中にこびりついた卑猥なイメージ」のようなものが剥がれつつあるように思うが、このように無意識に触る習慣をなくす必要があるなと思った。
最近、5日目に何かしらの揺らぎ(睡眠時間の乱れ、夜中に目が覚める、無意識に触っている、など)が原因になって越えられないことが多い。今日はその「魔の5日目」である。
*********
午前中、久々に雲一つない晴天だったので、日光浴をした。
以前、ここでリセットの引き金を作ってしまったので、今回もかなり危ないところまで迫った。
しかし、それではこの「魔の5日目」を今までと同じように越えられずに繰り返してしまうことになる。
アダルトサイトに10分ほどアクセスしてしまったし、我慢汁はダダ流れだったが、なんとか耐えた。日光浴でかいた汗を流すべくシャワーを浴びた。シャワーも、温・冷を交互に浴びて身を引き締めた。
*********
午後から、カフェで執筆作業に取り組んだ。
明日の面談用に、ひと月前の進捗報告で作成した全体構成に修正を加えた。
目下の課題は方法論の検討で、言説分析を名乗るかどうするか、という点だ。
名乗ると、「言説空間」という視点を分析枠組みとして使うことができるが、フーコーの「言説」概念に付随して「知」や「権力」との関係を示さなければならない。しかし、現状としては、フーコーの重要概念である「権力」が自分のオナ禁研究で前に出てくるかというと微妙なところだ。
この場合、「知」をバーガー=ルックマンの理論における「知識」と区別する慎重さも必要になるというおまけがつく。
また、フーコーとバーガー=ルックマンの方法論的な相性にも気になる点がある。この両者のいいとこ取りをしたというライナー・ケラーのSKADが、自分の感じている懸念点をどう論じているのかを把握する必要もありそうだ。
逆に、名乗らない場合は、上のような問題からは自由になる一方で、組み上げてきた「言説空間」という分析枠組みを手放して、バーガー=ルックマンの知識社会学に依拠する形で枠組みを作り直す必要が出てくる。
また、性の管理という、フーコーが直接的に関わってきそうなテーマであるにもかかわらず、彼の理論に触れないことへの説明が求められる。
いずれにせよ、難易度の高い問題にぶち当たりそうである。
個人的には、現状として「知識社会学」という軸は外せないと考えている。だから、バーガー=ルックマンの理論抜きでフーコーの言説分析に拠る、という道はなしだと思っている。
この辺りの迷いを、明日の面談では共有してみようかな…と思っている。
最近、このブログで「いま研究に関して考えていること」を言語化できるようになってきつつあると感じる。
アイデアを汲み上げ、まとめていければと思っている。