jozkado’s diary

オナ禁を実践しながら『オナ禁論』執筆をする院生の業務報告。執筆のためのメモなど。

18日目――新しいステージ

6:45起床

平日のラジオの強制力は本当にすごい。朝食を済ませて7:30にはカフェで作業を開始できているから驚きである。

昨日も書いた通り、意識的に「オナ禁」を実践しだして以来の最長記録を更新した。

このブログで残っている記録だと15日目までだから、その記録も既に越えている。

以前まではかなりキツいと感じていたものが、案外さらりと越えられた。

自分史上で新しいステージに突入しているので、かなり高揚感がある。

やはり、いま回せているサイクルを絶対に乱したくない、圧倒的なパフォーマンスで修論オナ禁論執筆まで駆け抜けたい、という気持ちが強いからだろう。単純に、たとえば「モテたい」とか、「人生変えたい」とかの漠然とした目標だけでは越えられなかった。目標がこれまでよりはるかに具体的で、そのための行動も日々洗練しようとしているのが、継続している一番の秘訣なのかもしれない。

とはいえ、気は抜けないし、日中にフラッシュバック的に妄想が襲ってくることもある。
少なくとも修論執筆・完成までは気をつかって過ごさねば。
今日からまた1週間、頑張っていこうと思う。

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今日読んだ論文は、クリス・テイラーとニコラ・ガーヴェイの共著による論文で、「ポルノ依存」についての知識や言葉遣いが専門家と大衆の間でどのように普及しているか、ということを批判的言説分析のアプローチで抽出、分類した研究だった。

テイラーの2019年の論文では、アメリカ合衆国における1970年代以降のポルノ依存の社会問題化の歴史が概説されていて、フェミニストによるポルノ批判から、それとは分離した「依存症=病理」としてのポルノ依存の問題へと独立していく過程が示されていた。

これは、テイラーとガーヴェイによる論文が対象としたニュージーランドでも同じ傾向が見られるようである。
逸脱の医療化言説は、80年代以降の依存や、性に関する「問題行動」を扱うのに有効な視点かもしれない、と思う。
日本での「オナ禁」の系譜がどのように生じてくるのかを考えるヒントにもなりそうなところだ。

また、彼らの論文の見どころはやはり、6本のニュース記事とそれへのFacebookコメント1400件あまりを分析にかけ、大きく5つの言説(解釈レパートリー)にわけているところだ。
それらの見出しだけ示しておくが、かなり刺激的な内容になっていて興味深い:

(1) ポルノ視聴は薬物のようなものだ

(2) ポルノ視聴は問題ない

(3) ポルノ視聴は不自然で、間違いであり、偽物である

(4) ポルノ視聴は親密性に干渉する

(5) ポルノ依存は言い訳である

先週読んだテイラー(2019)とあわせて、これも自分の研究の手本になるであろう研究だと思う。
修論を書いて、オナ禁論を出版したら、テイラー氏らのいるオークランド大学に学びに行ってみたいものだ。

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明日もこの勢いでゴリゴリ読み進めていく。