jozkado’s diary

オナ禁を実践しながら『オナ禁論』執筆をする院生の業務報告。執筆のためのメモなど。

20日目ーーオナ禁「効果」の歴史を追う

6:25起床


昨日しっかり寝たためか、個別指導で多少遅くなってもこの時間にすっきり起きられた。


ただ、シャワーを浴びることができずに寝たので、朝食前の読書とあわせて、シャワーを浴びることにした。


日曜とはいえ、今日も大事に研究に時間をあてたい。

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今日でガスフィールドのSymbolic Crusadeは読みきった。正直、かなり散漫な読み方をしたので、あとで必要なところを再読する形で利用することになりそうだ。


階級をめぐる問題ととらえる経済学的アプローチと、心理学的な表出主義的なアプローチのどちらでも禁酒運動(Temperance)は説明できない、象徴をめぐる地位の闘争として理解することを目指したことは最後の章ではっきり述べていたように思う。


禁欲的な行為が世俗の領域で行われること、それも社会運動のように広がることは、説明を要する非合理的なものであるというのは、半世紀前も同じだったようだ。


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分析のほうは、かなり苦戦した。


「効果」の最初期にあたる、項目が単純に箇条書きの形式でまとめられているものの特徴を抽出するという作業だったのだが、細かいところまで指摘しすぎているのではないか?と思う解釈になった。


簡単な展開を話しておくと、

①2003年にまとめられた「効果」の原型は、その箇条書きという形式や表現の特徴から、あくまでも個々の「効果」は独立したものであった。当然「日数」との結びつきはなし。


②2004年~2005年にかけての「手淫禁止HP」中の箇条書きの形式も原型を踏襲している点で変化はないが、精神面での「効果」への言及が増え、かつ「少数派の意見」というカテゴリーが設けられた。これにより、これに含まれないものがかえって「一般的な意見」として「効果」の信憑性を生んでいる。「日数」と「効果」の結合はまだなし。


③2004年~2005年にかけては同時に、「手淫禁止HP」内の「喜びの声」で体験者の「効果」が集積されたが、そこでの集積の形式(名前に付随する「日数」と、体験として抜粋される「効果」)によって、「日数」と「効果」が結びつけられる認識の基盤が形成される。


④2005~2006年にかけて、「くそ丸(空僧丸)のブログ」で示された「日数」と「効果」がセットになった体験談により、これらの結びつきが強固なものになる。


⑤2009年以降は2ちゃんねるにおいても「日数」と「効果」のセットが現れたり、2012年以降は「NAVERまとめ」でも同型が現れたりと、「日数」と結合した形での「効果」が流通の中心となる。



こんな具合である。②までを今日でしっかりまとめたので、明日③から④を扱えればと思っている。

個人的には、④と⑤の間に3年ほどの空白があるのが気になっている。2009年よりも早い時期に「日数」と「効果」がセットになった型(もちろん、空僧丸のそれが原型なのだが)が広く流通するような契機はなかったのか。


ただ、これを調べようと思うと、再びネットの海に漕ぎ出さなくてはならなくなり、時間的に不安がある。上手いこと探せれば良いが。



加えて、明日は国会図書館に雑誌資料を見に行くので、いつもと少しイレギュラーになる。腰を落ち着けて作業ができる時間は少なくなるだろうから、集中したいところだ。



分析・執筆はまだまだ続く。