jozkado’s diary

オナ禁を実践しながら『オナ禁論』執筆をする院生の業務報告。執筆のためのメモなど。

17日目ーー実績乞食と向き合う

7:00起床


昨日、普段より朝が早かったぶん、疲労も溜まっていたようだ。24時前に寝たが、途中で目が覚めることなくずっと寝ていた。


今日も午前中に執筆と分析を行った。ゼミなどがない1日フリーな日なので、こういう日はとくに集中をしたいところ。

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禁欲の問題系を扱っていて、少し考えねばならないなと思ったことがある。


それは、「禁欲が結果的に何を生み出すか」という問いと、それに迫るために「効果」を扱うという主張との間には論理的な飛躍があるのではないか?ということだ。


「結果として生じるもの」は、禁欲を支える「効果」という論理を明らかにすることで見えてくるのか?「効果」への注目は、あくまで取り掛かりのきっかけにしかならないようにも思える。


この部分、まだ上手く言語化できていないところなので、時間が要りそうだ。

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今日は、シンプルに自信をなくす事実を知った。


同期で、学振を取れている人がいる、ということだ。


学部の頃からよく知っている人だし、研究だけでなくさまざまな文化活動でも結果を残している人だった。大学院入学時に自分が通らなかった獲得型奨学金に、その人は通っていた。


同期だけど歳は3つ下だし、あらゆる面で到底勝てないなと常々思ってはいた。


しかし、やはりこう現実を突きつけられると、きつい。



自分は落ちた。


あの人は、採用された。



たぶん、就活に近い感覚なのだろうな。自分への期待ばかりは一人前で、実績も伴っていなければ、期待させるようなアピールもできていない。


目に見えてわかる結果は、明確なフィードバックである。



しかし、今日しんどかったのはたぶんそれだけではないだろう。


件の話をしていた周囲の先輩院生方が、「自分も落ちたよ」等と語っているどの人も、何かしらの奨学金や研究奨励金を獲得できている人たちだったからだ。


自分は、まだ本当に何も実績がない。


その事実だけが重く、重く腹のそこに沈殿していった。


今やっている研究が価値がないのか?
自分には研究者としての将来性がないのか?

そういうことを考えてしまう。


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と、ネガティブなことを書いてきたが、もう少し冷静になって考えたい。


自分が研究者として、「ちゃんとやっている」と答えられる期間は、果たして今まで何日くらいか?


せいぜい、まだ半年かそこらではないか?(オナ禁を真面目に継続している期間とほぼ重なる)


結果を求めるのが早すぎるのではないか?



自分には、「頑張っている」と認識している期間が少し続くだけで、過大な期待を自分にも他者にもしてしまう傾向がある。



褒美を直ぐに欲しがる動物園の猿状態だ。



もう少しスパンを長く見て、その期間もたえず適切な努力を今のように続けて(もちろん、今やっている努力が本当に100点なのか、それを検討し修正しながらだろうが)、そこで初めて結果を期待する資格が得られる。


そう考えるべきだと思った。


今の自分は、自信がない割にあまりに自分に期待しすぎで、自信を求めるあまり「実績乞食」になっている。


そして、過大な期待を満足させられるような結果を得られない(当然だ)から、なおさら自信を失う……自信を喪失する無限ループだ。



過大な期待をやめたらどうか?とも考えた。

だが、期待をしないことはとても難しく、努力を続けていると期待はそれに合わせて大きくなってしまう。


だから、期待するほうを制限するよりも、その期待の先をできる限り遠くにもち、そのための歩みを続けている感覚を持つようにしようと思うのだ。


自分がやっている研究は、絶対におもしろい。



それは揺るがないと思っている。今は、それを一般的に判断するだけの材料が整っていないだけだ。



だから、研究者としてのキャリアを、なんとかして続けていけるように、しぶとく生きながら研究を続けていけるように、次なる方法を考えていくしかない。


もっと色んなところに申請もしてみよう。先輩方にもアドバイスをいただいてみよう。思ってもみなかった方法があるかもしれない。