1日目――前進のイメージ

【日記(20/10/21)】

6時起床。無理やりYoutbeMusic作戦は今のところ効果があるようだ。

 

すぐにシャワー、朝食を取り、13時前までカフェで作業という流れをとった。

日中は笑ってしまうほど頻繁に欲の波に襲われた。やるべきことに集中する時間が減る原因にもなる。引き続きオナ禁にトライしていくなかで経過をみてみたい。

 

【研究メモ】

ラニー(2006)つづき。1週間ぶりなのでやや量が多くなる。

 

Part1 The Social Shape of Abstinence
Chapter1 Seeing Not Doing: Time, Place, and Language
第3節 Language

第1項 Term Dillenmas, Part One: Invisibility

(禁欲を記述する用語が使われない問題、not-doing自体の認識が明確にならず、doingの否定の側面が強調されているという指摘がされた)

たとえば、” virgin" という言葉について。これは名詞から形容詞への拡張用法があるが、独自の形(の点)で実践されてきた禁欲の形式を認識しそこなっている使われ方をしている。

(not-doingを理解するために、ある行為をしばしば参照しなくてはならないとはいえ、)

「それ自体として禁欲を認識する用語が次第に辞書に現われているという事実を無視するということはできない」(p.28)

また、興味ぶかいのは、そうした用語に対して抵抗感を示すのは一般大衆だけでなく、おそらく推進派だろうと思われる人にもいるのだ。

 

第2項 Term Dilemmas, Part Two: Inadequacy

禁欲というふるまいを正確に表現していない問題は、ふるまいの分類〔典型化〕によって複雑になる。

  • バーガーとルックマン

人びとは知識の社会的蓄積を用いていて、そこに「典型化された」用語が含まれているのだ、と考えた。

こうした用語のおかげで、似ているが常に少し異なった経験をしている他者を包摂することで、個々人の個人的な出来事を客観性を減じて状況づけることができる。

→このように考えてみると、この第二の問題は、「禁欲の所与の形式のなじみのなさにしばしば由来するけれども」、次のような時にもまた表面化する。すなわち、「個々人が認識可能な〔言葉にしようと思えばできる〕禁欲を実践しているのだが、大半の人が典型的にそうするやり方を拒むかたちでそれをやっているとき」である。(p.29)

⇒用語はニュアンスを捉えそこねてしまう

  • BeardsworthとKeilの研究(1992)

禁欲実践者たちの違いはたしかに認められるが、「気まずくなったり変に映ったりする」ことを避けるために、既存のカテゴリに自らを押し込めようとし続けていることを見出した。

レベッカの例…本当は(厳密には)魚食主義者なのだが、肉を食べるのがベースの社会でなら菜食と言ったほうが受け入れられやすい。

  • 言語と禁欲をめぐる困難

ベジタリアンのルス(Ruth)の例

単なる菜食を超えた禁欲(食べ合わせ)は、

⑴合致する一般用語がない

⑵人は先に経験したことで構成された類型に依存して新しい経験を扱う(シュッツ&ルックマン, 1973)

といった水準で他人に理解されづらい。

⇒(本当は「それってベジタリアンじゃなくない?」といった申し立てをされることで生じうるスティグマや当惑をなくすはずなのだが、)日々の食習慣において、というよりはその時〔だけ〕の好き嫌いというように位置づけられる言明になってしまう。

第3項 Language and the Locus of the Self

上述の2つの困難〔不可視性、不適切さ〕のどちらであれ、言語の制約によって、not-doingに自らのアイデンティティをある程度基礎づけている人にとって根源的な問題が引き起こされる。その問題とは、自己の根源(中心, Locus)をとらえることができないという問題である。

「自分が何者であるかは分からないが、喫煙者ではない」と、自己の識別について回答に困っていたブルースの発言から、「行為(doing)」と「存在(being)」との間の結びつきを明確にする際の言語の役割に関して、興味深い問題が生じる。

  • 一方では、「存在」としての資格を得るためには積極的にその行為に従事しなければならない
  • 他方で、いくつかの禁欲にとって利用可能な用語がある。(その禁欲により、ある存在は行為の不在を貫くことができる⇒喫煙していなくても喫煙者ということができる) ※この部分は何を言っているのか正直分かっていない

言語によって、行為をしていなくてもある状態・存在であることができるのと同様に、ある状態・存在でなくても行為をすることができる(上の2点の前者の逆)。それを可能にする言語として、socialやcasualを挙げている。この語がつくことで、ある人の行為が、その人が誰であるかを指し示すものとして扱われるべきではないと意味するのに役立つ。

ラニーはこれを言語的戦略(linguistic strategies)と呼んでおり、この戦略が、”doings”〔行為〕が”being”〔存在〕を指し示すものとして見なされるべきではないということを指摘している。

  • 言語の別な機能

言語によって、時間(メモ:時間的な不可逆性)の点で禁欲実践者を位置づけることができる。

例:chaste(純潔な、貞淑な)、celibate((特に宗教的理由で)独身[禁欲]を誓った)と、virgin(処女の、童貞の)の間の違い:

同じ「性的禁欲を実践している」といっても、

 すでに経験済み  ⇒  ”born-again virgin”

             ”secondary virgin”

             ”celibate” など

 これまでに未経験 ⇒ ”virgin”

のように、言語によって位置づけが変わる、という。

 

人が禁欲しているのか、それとも自発的でない理由のためにある行為に参加できていないだけなのかを、言語がはっきりさせるかもしれないのとちょうど同じように、言語はまた、禁欲することの背後にある動機における差異に洞察を提供するかもしれない。

次項で、禁欲(行動)をとりまく言語から、not-doingの動機についてより詳しく明らかにしていく。

 

第4項 The Durability of Identity (アイデンティティの持続性)

自己の根源であると個人が感じるものをとらえる、装置的な役割(instrumental role)に加え、ある用語やフレーズは、アイデンティティの持続性(あるいは脆弱性)についての考えを反映してもいる。

virginity ⇒” loss”⇒ ” born-again virgins”

  (移行(return)が許されていない、不可逆さを含む禁欲カテゴリ)

他方、他の禁欲カテゴリでは、実践する余地があり、再開したり、やめたりと納得できる移行が可能となる余地がある。

アイデンティティの持続性に関して、こうした差が生じるのはなぜか?

その問いへの簡単な答えは、身体への影響の度合いに焦点を当てることにより得られる。性〔行為〕と依存の関係は、他の行為ではできないと我々が考えるようなやり方で身体を変えるのだと。しかし、なぜ我々はそう考えるのだろうか?

ここで与えている答えには、文化的差異を挙げている。ムスリムにとって、豚肉を食べるという行為がアイデンティティに及ぼす影響は、私たちにとっての性的関係において考えられるのとパラレルに考えられる。

・以前の自分からの完全で圧倒的な変化を要求していることを示唆する”turning over a new leaf”(新しく生まれ変わる)や、”not looking back”(振り返らない)といった表現

・また、いったん禁欲を実践すると、禁欲する能力をめぐる恐れやいらだちが他者に向けられる。「他の人々や何らかの行為によって、自分たちが”堕落し”たり、”汚され”たり、”破壊され”たり、自分たちの努力が”覆され”たりする」ことを恐れているのである。

第4節 If, When, and How We "See" Abstinence

(本章第1~3節をまとめると)禁欲実践者は、時間性(time)、地理性(place)、そしてとりわけ言語によって抑制されている。

言語がもつ問題(禁欲実践者を表現できていない、彼らの実践を理解できていない)は、新たな用語が出現することでいくぶんか緩和はされる。「強力に組織化された分類システム」が、特定の利用可能なカテゴリを形成するからだ。

しかし、そのようなシステムは、”カテゴリが日々の生活における知覚[認知]を枠づけたり、行為を方向づけたり、自己理解を形成したりするのに重要な役割をもっていることを伴って”いない限り、不十分なままであるかもしれない。

本章で示された問題には、やらないことを選択するあらゆる人が、時代を超えて直面する。よって、事象で近代の禁欲実践者から戻って見ていく。

  • 禁欲を形成するのに時間性と地理性(time and place)がいかに重要かを明らかにする
  • 時とともに禁欲が枠づけられていったその多様なありかたを明らかにする

 

(メモはここまで 明日から2章に入っていく)

 

今日のゼミで、オナ禁論の研究進捗を報告した。フォーマルなゼミの場で報告したのは初めてだったが、思っていた以上にコメントをいただけたので驚いている。このテーマで進んでいける希望が見えてきた。

次の進捗報告で重要なのは12月15日。50日ほどある中で、「このテーマで進んでいける」という確信と、ベースの論述に着手できるよう進めていきたい。

  • 事例にあたる。現象の中心に迫っていく。

  実践を支える環境に注意を払うことが重要。実践に至る思考や、契機となった経験について言及されている箇所がねらい目。

  • Mullaney(2006)のレビューを完了する。

  内容だけでなく、活かせる論点を見出す。自分の明らかにしたい関心を答える枠組みがあるか否か。ないなら批判点として指摘できるようにする。

  • 参考文献リストを整理する。

  一次・二次文献の大別に加え、議論の領域別で大きく分類できるようにしていく。

  • 目次をつくり、射程を決める。

  

非常に長くなった。前進できるイメージを明確にしていく研究の日々を過ごそう。