jozkado’s diary

オナ禁を実践しながら『オナ禁論』執筆をする院生の業務報告。執筆のためのメモなど。

14日目――お腹痛い

5時40分起床。昨日が遅かったからか、夜明け前に目が覚めた。

ただ、どうも昨日からお腹につっかえるような痛みがある。何となく、4か月前(もうそんなに前か)の腸炎に近い。

オナ禁を始めると2週間で腸炎になる、というのが個人的なワンセットなのだろうか。オナ禁自体は自分の生活を見直すきっかけにはなっていると思うが、そこに腸炎が付録としてついてくるのだったらあまり歓迎はしない。

 

という冗談はさて措き、研究のメモなど書き残しておきたい。

 

【研究メモ】

ラニー(2006)つづき

Part1 The Social Shape of Abstinence
Chapter1 Seeing Not Doing: Time, Place, and Language
第3節 Language

我々が使用している、禁欲を指し示さなければならない用語は、以下の3点についてかなりのことを明らかにしてくれる:

 1) 我々の集団的な意見(sentiments)がどこにあるのか

 2) 一時性(つまり、現在の禁欲実践者は以前は(禁欲せず)「やる人」であったのか?という問いや、現在の禁欲実践者は永久的に禁欲するつもりなのか?という問い)

 3) 指向性(容易に、あるいはアイデンティティに対してほとんど影響なく人は禁欲の状態に入ったり抜け出したりすることができるのか?という問い)

 

ただ、そうはいっても、禁欲を記述するための用語は、主として使われないことがしばしばあったり、あるいはそうした用語があるにしても、not-doingsの複雑さや事情を捉えそこなっていたりする。前者の〔使われないという〕問題は不可視性の1つで、後者の〔捉えそこねるという〕問題は不適切さの1つであるように思われる。(p.26)

※第一の問題は、このあと第1項で、第二の問題は第2項で扱われる。

 

ある個人について多くを分かろうと、我々はしばしば、最も簡潔な記述をあてにする。なぜなら、我々が個人について予想することは、異なるアイデンティティを指し示すために用いる言語で作られているからである。(p.26)

⇒言語による枠組みの外で可能性を想像することはできない。「言語の制限は、禁欲実践者たちにとってのさらなる重荷を表す。〔ただでさえ〕彼らは、自分たちのアイデンティティの決定の正当性や、その決定の背後にある論理を他の人に納得させるという課題と常に格闘しているからである。」(p.27) 

 

第1項 Term Dillenmas, Part One: Invisibility

分類の仕組みについて絶えず議論されるのは、そうした分類が本質的に、生得的・明快に見いだされる区分を反映していない、ということである。

言語の区別する力によって、我々は言語的にも精神的にも、社会的に重要な特徴の地位を高めることができる。(他方、重要でない者は背景に退けられる)

分類について論じる文献は、「モノ」に焦点を当てている一方で、言語を通して知覚でき、意味あるカテゴリの創造〔のしかた〕は、それにもかかわらず行為に当てはめてくる。

not-doingsを記述するための用語が少ないことが、困難を引き起こしている。

人のnot-doingsを指示するのに使える概念が欠けていることで、ある程度not-doingsにもとづく正当な自己の表現のプロセスと、他人がそれ〔=not-doings〕を認識する能力に困難が生じている。(p.27)

さまざまな禁欲の実践それ自体を指示する用語(名詞や形容詞)はたしかにある。しかし、それは性欲や食欲、財欲といった、禁欲のなかでも大きい3つのトピックとして著者が先に定めたものを超えてまで拡張はしていない。基本的には"non"だとか"ex"だとか、行為を表す単語に否定の接頭辞をつけるということをしなければならないことをムラニーは指摘する。

つまり、not-doingsを、それ自体ではっきりしたものとして認識するのではなく、doingの否定が強調されているのが、用語に着目することで分かるというのである。

 

(メモここまで)

 

【日記(20/10/14)】

 冒頭で冗談を書いたが、原因はおそらくここ数日毎晩のようにチョコレートを口にしていたからだと思う。

 

脂肪を摂りすぎないよう少なめにはしていたが、昨晩は量が多かったように思う。

チョコレートは摂りすぎると腸内環境が悪くなるらしい。昼食にヨーグルトを摂ると少し和らいだ(単純すぎ?)

 

オナ禁をしていても、食生活が不摂生だったり運動していなかったりすると効果は薄い」という言説は頻繁に聞く。

 

オナ禁効果と結びついている点の真偽は定かではないが、身体を総合的に管理して自分の日々のパフォーマンスをコントロールできるようにすることを心がけるなら、食事に気を配るのは当然必要なことだろう。

 

高校生の頃なら毎日のように菓子を食べても何も不調はなかったが、今はもうそうはいかないのだな、と、少し歳をとったことを実感した。