jozkado’s diary

オナ禁を実践しながら『オナ禁論』執筆をする院生の業務報告。執筆のためのメモなど。

13日目――文献で結構身も蓋もない話が出てきた

8時起床。目覚ましに気づかなかった。
まだまだ習慣化には至っていないことが分かる。
いちいち自分を責めても何も特にならない、という考えは身についてきたので、起床後はすぐに外に出て朝食→カフェで昼まで作業、という感じで動くことができた。

【研究メモ】

・ムラニーの続き

Part1 The Social Shape of Abstinence
Chapter1 Seeing Not Doing: Time, Place, and Language
第2節 Physical Locale

禁欲は、場所によって異なるものを意味する。禁欲の可視性(visibility)の変化は、〔禁欲実践者の〕場所の移動に従属した関係にある。場所が禁欲の可視性に及ぼす影響は、もっと小さな規模でも起こりうる。

また、社会的・職業的集団もnot-doingの重要性と可視性に影響を及ぼす。つまり、禁欲実践者の社会的地位にもとづけば、それほど驚くべきことのように思えない禁欲もあるということである。社会的地位は、ある形式の禁欲の訓練のしやすさに影響を及ぼすだけでなく、他の人がその禁欲に気づき、反応する程度[度合い]にも影響を及ぼしうる。

まとめると、「明らかに、禁欲の注目のされ方は時と場所によって変化する。そしてそれにより、人の禁欲は目立ったり背景に隠れたりするのである」。(p.25)

話はこれだけでは終わらない。ムラニーは、行為の可能性が別な仕方でも生じうることについて、次のように述べる。

時や場所に加えて、誰がやらないこと〔=禁欲〕に取り組んでいるかも、その重要性に影響を及ぼしているように思われる。(p.25, 太字は本文中ではイタリック表記)

これは結構身も蓋もない話で、本文中の事例も、要は魅力的な人物が(例えば貞淑を守っているというような)禁欲を行っているから意外であり、注目されるのであって、魅力のない人物が同じことをしても、言ってしまえば「負け犬の遠吠え」のようなものだということである(さすがにこの箇所は読んでいてキツかった)。

第3節 Language

ラニーは、異なるタイプの禁欲の共通性や一貫性を考慮しなければならない(導入で述べていたこと)と主張するが、それでも否定できない相違について触れている。その要因は言語に由来するという。

われわれはこれらの相違の原因を、言語と、禁欲を表現するのに用いて(あるいは間違って用いて)いる用語に帰するかもしれない。(p.25)

著者の方針としては、「特定の形式に関連している言語に焦点を当てることで、言語上の分類のシステムが、禁欲にもとづくアイデンティティの包括的な理解をどのように制限あるいは促進しているのかを見ることができる」(p.26)ようにするというものである。
(メモはここまで)

・まだ何も形になっていないが、来週に進捗発表があるので、現状入手可能なもので投げ込めるだけの構成にはしておきたい。
 ありがたいことに、夏季休暇前よりも2,3冊は注目すべき文献を増やせているので、あとは読めるかどうか。

【日記(20/10/13)】

今日は寝坊してしまったのと、日中(特に夕食後)に動きが遅かったのもあり、ドイツ語の学習が文章読解1本にとどまった。最近しばらく単語のボキャブラリーが積みあがっていないので、きちんと整理しなくてはならない。これまで自前のExcelシートで机に向かって作成してきたが、隙間時間で単語の復習を片手でできる仕組みを作れないか?模索しようと思う。

5限終了→夕食後、一息ついてしまうために切り替えがうまくいっていないことが多いと感じる。思い切って夕食先で文献を1時間ほど読む時間にしてしまおうか…。まだ決め切っていないところなので、工夫が試されるだろう。

まだまだ自分の一日は改善の余地があるので、地道に変えていきたい。