jozkado’s diary

オナ禁を実践しながら『オナ禁論』執筆をする院生の業務報告。執筆のためのメモなど。

12日目

朝からばたばたしていたらすっかり書き出しが遅れてしまった。

6時40分起床。起きてすぐに朝食→カフェに向かい、作業開始。

週の前半はこういう生活スタイルで固定させるのもアリかもしれない。

 

【研究メモ】

ラニー(2006)つづき

Part1 The Social Shape of Abstinence
Chapter1 Seeing Not Doing: Time, Place, and Language (導入)

著者はZerubavel(1997)のいうsociomental lensesという概念道具を用いる。これは、個々人のバックグラウンド、経験、集団の協力、身体的・社会的位置によって形成されるもので、純粋な、あるいは一貫した観察などないという考え方に立っている。

この視点――時と場所により、禁欲をみる能力に影響を及ぼす――に立つなら、not-doingsに関わっている個人だけによる発言とは独立したやり方で禁欲を見ることができる。

ある所与の行為をするのが既定になっている規範(unmarked category)が変動していくのと同様に、禁欲も状況によって特徴的な点が変化していく。注目される/されないのも、突然の変化として現れるだろう。

not doings(unmarked) がnot-doings(marked)になるのは、どんなタイミングなのか?

ラニーはこれに対して3つの因子(time, place, language)をあげている。これらの因子により、禁欲を認識でき、1つの社会的カテゴリとして認めることができるという。

興味深いことに、禁欲を見る〔わかる〕こととそれについて語ることとの間の関係は、いくぶんか共存的になっている。つまり、一方で我々は、not-doingに名前をつけるために、まず最初にそれを見なくてはならないが、最終的にそれらを記述するとに我々が用いる言語は、今度は我々が禁欲を認識して理解し、その決定や他のふるまいを評価するその方法に影響を及ぼすということである。(p.20)

第1節 Temporal Location

「時間」という次元 … 2通りの作用のしかた(1), (2)でnot-doingsが禁欲の資格を得るかどうか、そして結果的に注目に値するものとなるか、に影響する。

(1) 彼(女)のライフコースの間でいつ/どの時点に禁欲するのか

(2) より大きな歴史的文脈のどこで、その禁欲が生じるか

禁欲が重要性を増し、目に見えるようになってくるのは、その行為が個人かつ/または社会のtimeの規範を侵害するときである。(p.20)

個人を超えたマクロな水準で見たときと、個人の水準で見たときに、禁欲と呼ばれうる行為かどうかの判断の俎上に上がると考えているのだろう。

禁欲は、行為が〔もうなされるだろうと〕予期されて初めて意味のあるカテゴリになるのである。(p.20)

※本文中ではリリー、サラ、デビー、ジョージア、マーラ、ジェイソンなど禁欲者の例が述べられていく。

 

また、「人生の中で、どのくらいの長さ禁欲をすることが受け入れられるかは、ある社会の歴史的文脈の中でも異なる」と述べる。禁欲のアイデンティティも、特定の歴史的条件のもとで意味をもつにすぎないのである。

ここでムラニーは、LymanとScott(1989)が提唱した、始まりと終わりで注目される期間としての"time tracks"という用語を導入する。time tracksにうまく乗れている人は社会的ポイントも高いが、(あるtrackを始めるのが早すぎたり遅すぎたりすることで)ペースや順序を破る人は、社会的に承認されない様々な形でのリスクを冒していることになる。(注:この概念は、日本語でいう「適齢期」をイメージすれば理解しやすいと考える。)

time tracks概念は、ロバート・マートンのいうSEDs(社会的に期待された持続)に一部依っている。マートンがした重要な指摘は、「未来についての期待[予期]が現在のふるまいにおいて鍵となる役割を果たしている」ということである。

SEDsとtime tracksの議論は、典型的に「やること」に焦点を当てているが、禁欲という段階[時点]の問題にも関係がある。本書における禁欲実践者たちは、どういうわけかtime tracksから落ち[離れ]ているように見える点で、上述のような(SEDsやtime tracksの議論で問題となっている)禁欲の表現とは異なっている。禁欲実践者たちが「間違っていること(wrong things)」といって禁欲している行為というのは、ライフコースにおいてある位置が与えられている、人がすべき行為なのである。

 

(メモここまで)

 

【日記(20/10/12)】

調査依頼の連絡をしたり、メンバーへのアナウンスをしたりと、調査実習のほうも少しずつ具体的に毎日動き出している。

個人的にインタビューのアポイントメントをつけるところまでは苦労しないのだが、その先、インタビュー本番までの準備の完成度を上げるところが弱い。下調べが不十分で、限られた時間の中で本当に聞くべきことを聞けているのか、自信のない内容になることが多いように感じる。今回はそうならないよう、準備を徹底的に行っていこうと思う。

明日もあまり時間的な余裕はない。しかし「忙しい」とは言わない。動き出しを早く機敏にし、時間の使い方を工夫すればいいだけだ。