8日目――自尊心の自傷行為に気づく
6時40分起床。木・金の朝は月~水とは少し異なる。
7時からのラジオを机に向かって聴いているからだ。木・金のドイツ語の番組は応用編で、テキスト無しで聴くのはかなり難易度が高い。そこでGoogle Documentの音声入力機能を起動してリアルタイムでドイツ語を書き取ってもらい、それを見返すことで復習に役立てている。本当に便利だと思う。
(参考ページ)
工夫次第で自分の勉強の質・量ともに高めていくことは可能なので、今後もこうした工夫は重ねていきたい。
さて、今日も限られた時間ではあったが、研究の進捗を生んだのでメモを残していく。
【研究メモ】
Jamie L. Mullaneyの主著"Everyone Is NOT Doing It: Abstinence and Personal Identity"(2006)のイントロ(一部・つづき)
本書の戦略が述べられていく。
著者のムラニーは、次のような仮定をしばしばもつ読み手にあらかじめ応答する:
1.著者は禁欲の道徳的な次元に関心があるのだろう
2.著者は禁欲のある特定の形式(もっぱら性的禁欲を、〔次に〕それほど多くはない程度で薬物とアルコールの禁欲)に焦点を当てている。
たしかに、禁欲にも様々な側面(貞淑さ、依存からの回復、菜食主義など)があり、それらが具体化されていることはムラニー自身も認めている。しかし、次のように反論をする。
1つ1つタイプごとに禁欲を研究し続けようとするのは重要である一方、禁欲がアイデンティティの包括的なプロセスとしてどのように作用するのかは、我々がタイプ間比較を始めない限り、部分的で不完全にしか分からないままだろう。(p.13, 太字は本文内イタリック表記. 以下も同じ)
比較をしても、リンゴとオレンジの比較行為のようなものにしかならない(=タイプ間の違いしか分からない)のではないか、という批判に対しては、次のように主張する。
禁欲が、ただアイデンティティの個人的な目印としてだけでなく、社会的、行為的(behavioral)、認知的プロセスとしても作用するかどうかを確かめるために、タイプ間の共通点を調べなければならない。とりわけそれは、社会的アイデンティティが、個人間の、集団間の、そして類似点と相違点の諸関係の、システマチックな組織と意味であるからである。(p.13)
以上のようにムラニーは、特定のタイプ間の共通性や違いの問題を調べるのでは不十分で、タイプ間の境界を超えなくてはならない、という立場をとる。
心理学的立場との距離
ムラニーは、禁欲の問題に対して、より心理学的な問いである「なぜ」や「ハウツー」よりも、禁欲の「どのように」をとり上げる。
彼女は心理学で禁欲の根源をたどろうとすることは、「どんな禁欲の形式も不安の反応として単純に片づけてしまう危険を冒している」と考える。
よって、「本書はその展望と範囲の点で心理学的ではない」(p.14)。
そのうえで、焦点を当てていく部分について次のようにまとめる:
本書は、禁欲の正しさの問題を引き受けるわけでもなければ、人を動かして自らの主義を信じ込ませようとする禁欲起業家(abstinence entrepreneurs)の努力を評価しようともしない。そうではなく、本書は私が「日々の禁欲実践者(everyday abstainers)」と呼ぶ、やらないことを自分の自己の感覚へと積極的に組みこんでいる人々の生活を調査する。彼らが〔禁欲を〕決心した背後にある心理学的な刺激について考察するのではなく、次のような方法に焦点を当てていく。すなわち、その方法のもとでは、禁欲についての私たちの理解における現代の状況や歴史的な変化が、集団としての我々の、やらないことの考え方だけでなく、アイデンティティの構成要素として禁欲を選ぶ人々のきわめて個人的な、日々の実践にも劇的に影響を及ぼしうる、そのような方法に焦点を当てていくのである。(p.14)
ようやくイントロの大半を通読したので、注釈を眺めてからChapter1に移っていきたいと思う。
【日記(20/10/08)】
午前中に髪を切りに行ったのだが、起床から散髪に行くまでの間の時間は生産的かというと微妙。
ひげの処理(濃いわけではないが、数日に1度少し丁寧にしてあげる必要がある)とシャワーとを、ドイツ語ラジオの後に済ませると、時間があまり残らなかった。時折こうせざるを得ないと考えて、髪切り前にタスクを詰めこまなければよかった。
本当にできるか分からない状況に、無理ゲー的にタスクを詰め込む→結果手が回らず達成できない→自信をなくす→再び無理ゲー的に予定を詰め込む→…というループからはまだ抜け出せていないことがわかる。
このループは
・無駄に自己肯定感を下げていく
・自分が立てた目標に対し、初めから「達成できないかも」という意識を埋め込む
・自分で自分を信じられなくなる
という3点セットがついてきて、自尊心の自傷行為に等しいと考えるようになった。
客観的に見れば些細なことだが、自分の日々の行動を振り返る意味では、今日の一件は重みを持ってくる。
現状出来ること・出来ないことを把握して、無駄に自尊心を自傷しないように気をつけたいと思った。
長くなってしまったので今日はこれだけにする。