jozkado’s diary

オナ禁を実践しながら『オナ禁論』執筆をする院生の業務報告。執筆のためのメモなど。

9日目——ほとんど研究ノートな日記

ランニングと筋トレをしに1週間ぶりに公園へ出ていたら日付が変わってしまったが、記録すべきことは記録する。

【日記】(20/06/09)

6時20分起床。活動開始が少しずつ早くなってきている。

牧野智和の著書を読み進めたが、2000年前後の自己啓発書籍に現われる「万能ロジック」が、「オナ禁」の実践を支える論理、その効果を支える論理と極めて親和性が高いように思った。

「「オナ禁」は効果がない、などと言っている奴は、正しいやり方で長期間続けることができない「オナ猿*1」だ」という主張が度々みられるが、ここに働いている論理がまさに「万能ロジック」ともいえるものである。

また、目的にも、

「オナニーが有害だから、オナ禁をする」という目的だけでなく、

オナ禁によって自分を変えたいから、オナ禁をする」という目的も共存しているということだろう。これは実際に匿名チャットでなされる発言の中にもうかがえる。かくいう私も初発の動機は自分を変えたかったからなのだが…

単に赤川学『セクシュアリティの歴史社会学』における「オナニー有害論の衰退・消滅」議論への反論だけでなく、一度存在感を失ったはずの「オナニー有害論」が自己啓発(自己をめぐる問い)の文脈で再利用され、自己を管理するテクノロジーとしての「有害論→オナ禁推進論」へと変質した、というような仮説も想定する必要がありそうだ。

 

日記のつもりが、ほとんど研究ノートの内容のようなことを書いてしまった。

 

ほかにはアート・ワールド論も読み進んだ。引用されているベッカー先生の英語にところどころ「??」となる箇所があり、邦訳『アート・ワールド』の訳者もかなり苦労されていたのが窺い知れた。

明日は昼過ぎから夕方まで重い実習とゼミが続けてあるので、午前中の過ごし方を大切にするのと、実習・ゼミから吸収する日にしたい。

 

*1:この表現も、分析の対象となる面白い表現である。「自己の性欲をコントロールできない人間=猿」とすることで、「オナ禁」を実践している自己のイメージを高めようとする(ブルデューの言葉でいえば)「卓越化」の論理が働いている、ということもできそうだ。